私の母は猛ダッシュ

日常
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1月も今日で終わりですね。1月は個人的には想いが深い月です。まずおめでたいことで言いますと家族の2人が誕生日を迎える月で、そうでないことで言いますと大好きな祖母2人の命日の月なのです。私にとっては、人は生まれて何時か死を迎えるという当たり前のことを強く感じさせられる月で、色々な事を思い出します。

今日は1月に誕生日を迎えた母の話をします。

私の母はとにかく真っ直ぐに突き進む人です。自分が良いと思った物、良いと思ったことに対しては特に。猪突猛進という言葉がしっくりくる感じの人です。少しもじっとしていられなくて、常に何かをしています。せっかちです。落ち着きがないです。なのでよく怪我をしたりします💦

バリバリ働きながらも家事の手は抜かず、子育てや趣味にととにかく忙しい。私が学生の間はそのパワフルさに感心しながらも、常に時間に追われているようで、どこか生き急いでいるように思えて、正直ついて行けませんでしたし、理解ができませんでした。それが徐々に、自分も働くようになり家庭を築くようになり、自分が学生の頃に見ていた母の年齢に近付いてみると、今は凄い人だなと尊敬する気持ちしかありません。

母は時間を無駄にしない人です。私が生き急いでいるように見えたのもそのせいです。もしかしたら違うのかもしれませんが、私がその理由を想像するに、母は幼少の頃に大事な人の死を経験したからではないかと思うのです。それを人はトラウマと言うのかもしれませんが、母にはトラウマと言うのとは少し違うものを感じます。

母の、『自分や家族の健康が第一!』な部分は大事な人の死が関係しているのかもしれませんが、時間を無駄にしないことに関して言うと、トラウマと言うよりは、亡くした人の分もがむしゃらに生きるんだという決意のようなものですかね。生き急いでいるのではなく、2人分の人生を1人分の人生でやり切ろうとしているように見えるのです。有限な母の時間を使って2人分を生きる。自分の事も儘ならない私には到底真似できません。

人が亡くなる時、大抵の人は亡くなった人から何かを受け取ると思います。例えば時間は有限だとか、少しでも思い残すことが無い人生を送らねばとか。物ではない何かを。私もこれまで幾つか受け取ってきたはずなのに、どこかへ置いてきてしまいました。でも母はそうじゃない。受け取った何かをしっかり掴んで突き進んでいます。

私には置いてきた何かを取りに戻る時間はもう無いので、生きている母から改めて受け取って進もうと思います。有限な時間を使って生ききる。マイペースな私ですが、猛ダッシュ中の母の背中を追いかけてみたいと思います。きっと母は全力で走っているので追いつけそうにないですが。

写真は、母のニラ玉を狙う今は亡き実家の愛犬ちび♂です。母とちびは相思相愛でした💕

因みにアイキャッチ画像は、母の股の間で寝るちびです 笑

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